川島町正直の日枝神社の社殿裏に山王1号墳(円墳、規模不明、自然堤防・神社境内、文献[2])がある。川島町正直は、市野川と都幾川の間の低地に位置する水田地帯。自然堤防上に集落が存在。正直は雑色(ぞうしき)の当て字で、地名は雑色(律令制の下級役人)が居住していたことに由来するとのこと。
山王1号墳
文献[4]によると「1979(昭和54)年、熊野神社古墳の荒川をはさんだ対岸低地、川島町正直字山王日枝神社前町道下で農業用水管埋設工事が行われ、地下約3mの地点から碧玉管玉の工程品106点、碧玉釧の工程品1点、勾玉凹面研磨用砥石1点が出土」とのこと。2019年に土浦市立考古資料館で開催された企画展「常陸の玉作り」に正直遺跡出土の石釧未完成品と管玉未完成品が展示された。また、2016年に埼玉県立さきたま史跡の博物館で開催された企画展「埼玉の古墳 1 比企・入間」でも正直遺跡出土の石釧未完成品と管玉未完成品が展示された。
文献
[1] 石岡憲雄 1980「北武蔵の玉作遺跡」『研究紀要』第2号 埼玉県立歴史資料館
[2] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」
[3] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会
[4] 「歴史のしおり 熊野神社古墳と埼玉県の玉造遺跡」埼玉県立歴史と民俗の博物館 博物館だより Vol.2-1 第4号 2007.7.12
[5] 埼玉県立さきたま史跡の博物館 2017「埼玉の古墳 1 比企・入間」